ASDかもしれない、と気づいたきっかけ
保護者懇談会をきっかけに、自分は周りと少し違うのかもしれないと気づいた話。ASDかもしれないと思うまでの戸惑いと、言葉を知ることで心が少し軽くなった実感
検索すれば、だいたい答えは出てくる時代
今って、本当に便利な時代だと思う。 疑問も悩みも、とりあえず検索窓に放り込めば、何かしらの答えっぽいものが返ってくる。
それなのに私はずっと、 「なんだか周りの人と馴染みにくいな」 「生きづらいな」 「でも、これってみんな同じなのかな」 と、答えの出ない検索を頭の中で繰り返しながら生きてきた。
そしてここ最近、ようやく気づいた。 やっぱり、私はみんなと同じではないのかもしれない、と。
保護者懇談会という名の試練
きっかけは、保護者懇談会だった。
よくある「一人ずつ一言お願いします」のやつ。 これが私は昔からとにかく苦手で、できれば欠席したい部門・堂々の一位である。
30人ほどが集まったその日、 「絶対に緊張する」と分かっていた私は、ちゃんと準備していた。 話すことメモまで作っていた。えらい。
なのに、いざ順番が来ると、頭が真っ白になった。 文字は見えているのに、意味が入ってこない。 口を開こうとしても、言葉が出てこない。
それまでは、 「緊張するのはみんな同じ」 そう思ってやり過ごしてきた。
でもその日は違った。 周りの人たちは緊張しつつも、ちゃんと話している。 中にはユーモアまで交えて、場を和ませる人もいる。
私は、何も出てこない。
その瞬間、はっきり思った。 あ、私の「緊張」、ちょっと種類が違うかもしれない。
きっと、私がうまく話せなかったことなんて、 他の人は気にも留めていない。 でも私はその日、 「自分は人とは違うのかもしれない」 という事実に、逃げ場なく気づいてしまった。
もしかして、私ASD?
それからは、その感覚について調べ始めた。 同じような人はいないのか。 同じように苦しんでいる人はいないのか。
検索を重ねて、たどり着いた一つの言葉。
もしかして私、ASDというやつ?
ACっぽさも混じっている気はするけれど、 一番しっくり来たのがASDという特性だった。
「あ、これ私だ」と思ったこと
当てはまると思った特徴は、正直たくさんある。
- かなり口下手。言語化がとにかく苦手
- 相手の言葉や文章を受け止めるだけで精一杯
- コミュニケーションがよく空回りする
- 一人反省会を開いては、自分を責め続ける
- 「何か質問は?」と言われると、脳がフリーズする
- 価値のない自分は生きている意味がない、と思いがち
- 基本、要点だけを伝えようとする
- 対人関係が怖い
- 懇談会や会議など、きちんとした場でパニックになる
まだまだ出てきそうだけど、 書き出すとキリがないので、この辺でやめておく。
言葉を知ることで、少しだけ楽になる
ASDやADHD、ACといった言葉は、 ここ最近になって、よく目にするようになった気がする。
少なくとも10年くらい前は、 今ほどネットに情報はなかったんじゃないかな。 SNSで体験を発信する人が増えたおかげかもしれない。
自分がASDだと「分かった」からといって、 生きづらさが魔法みたいに消えたわけではない。 病院で診断されたわけでもなく、 あくまで自分でそう思っているだけだ。
それでも、 「これは性格の問題じゃなく、特性かもしれない」 「同じように悩んでいる人が、他にもいる」 そう知れただけで、心の重さが少し軽くなった。
私は、ここにいていいんだ
今までの人生で、 この苦しさを誰かと共有できたことはほとんどなかった。
でも、 似たような気持ちで生きている人が、 自分以外にもいると分かるだけで、 どこかで「分かってもらえている」気がする。
それだけで、 私はここに存在していていいんだ、 そう思えるようになった。